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休廊日は展覧会により異なります

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伊藤あきえ 月影に悠を詠む

2023.09.11

2023.09.11

本日は、9月17日(日)から個展を開催する、伊藤あきえさんの作品についてご紹介いたします。

金工作家としてご活躍している伊藤さん。
鍛金・彫金の技法を駆使し、平面や立体作品のみならず、箱や器などの実用性のあるものまで、縦横無尽に制作されています。
主に真鍮や銅で形作られた作品たちは、悠久の時を紡ぎだすかのような、雅趣に富んだ装いでその風貌を綴ります。
今回の個展では、10年ほど前から制作を続けている、百人一首を題材にした作品を中心に展示いたします。
個展を目前に控えた今、制作途中の作品だけでなく、伝統に彩られた金工の魅力や制作への想いなども伺いました。

月影に仄めく:和歌と言葉

今回の個展の中心となって展開される、百人一首の作品群。
数々の歌のなかから選ばれているのは、「月」を題材としたものです。
美しさを謳ったもの。
哀しい心を映し出したもの。
雲隠れや見えぬ月を想うもの。
うつろいゆく月の、さまざまな姿をとどめた言の葉を、真鍮の中に刻みとめます。

月の光に浮かぶように照らし出された草木の姿が、なんとも雅やかな世界観を彩ります。
悠然とたゆたう景色のなか、漂うように現れるのは、アルファベットで綴られた言の葉です。
“百人一首”を折り込んだ作品というと、雅な仮名遣いに彩られる作品かと思いきや、なんとここに表現されているのは、英訳された歌。

「英訳された百人一首を作品の中に織り込むきっかけは、ピーター・マックミラン氏の英訳詩の本を読んだことでした。
子どもの頃から親しんできた和歌が英訳されていたことに、新鮮な驚きがあって。
と同時に、英語が出来ないのに、原文(日本語)よりも英訳の方が歌意が伝わってくることに、複雑な想いを抱きました。」

古くから日本文化として親しまれている和歌。
日本美術としても、和歌はその中で主題として扱われ、多くの作品が現存しています。
伊藤さんは、そんな身近な文化であるがゆえに、言語文化を超越した表現と潔さ、奥深さに衝撃を受けたのだと言います。
その31字に綴られた世界から、“伝える”とはなにか、“理解する”とはなにか、という問いに真摯に向き合います。

「言語の垣根を超えたところにある、和歌とは何か、私にとって和歌とはどういう存在なのかを作品を通して深く探究していきたいと思っています。」

景を詠み、歌を綴る:作品制作

和歌への想いを伺ったところで、実際の作品を深く見つめていきましょう。
此度の個展にて出品予定の作品、「額百人一首詠題図 紫式部」の制作工程をご紹介いたします。

まずは歌を選ぶところから。
今回は、「月」を題材にした作品を展示するため、紫式部が詠んだ月の歌を選びました。

 めぐりあひて 見しやそれとも 分かぬまに 雲がくれにし 夜半の月かな

歌を選定したら、作品として展開させるために、歌意、英訳、変体仮名、をそれぞれ調べていきます。

変体仮名の横には、対応する漢字の表現も書き込まれています。
単語の意味、そこに描かれている情景の真意。
ひとつの歌に関するあらゆる情報を調べて、イメージを膨らませていきます。

次に、下図をつくります。
金属の加工作業に入る前の、下書きの段階です。
この作業は、いわばこの後に続く工程の計画を練る部分。
大まかな色彩計画をたて、制作手順も決めていきます。

歌から導き出される光景を描きとり、英語を綴っていきます。

いよいよ銅板の登場です。
先ほど下書きをした図柄を、銅板に写していきます。

下図の段階では見られなかった、葉の細やかな表現も描き加えられています。

先ほど描き入れた図柄に沿って、「蹴り彫り」「浮き彫り」(※1)の手法を施していきます。
(※1 いずれも彫金の技法のこと。
蹴り彫りは、先の平たい鏨(たがね)=ひら鏨を使用して、角を軽く浮かせた状態で“蹴るように”線を刻んでいく手法。
楔形の点が連続したような線があらわれるのが特徴です。
浮き彫りは、モチーフの周辺を鏨で叩くことで、彫りを施さないところが立体的に浮き上がったかのように見せる手法です。)
はじめに、線で描いた植物の部分を、蹴り彫りで形どります。

蹴り彫りの工程は動画でもご覧いただけます。
鏨を打ち付ける音とともに、貴重な工程のワンシーンをお届けいたします。

ひら鏨を金槌で打ち付けて、蹴り彫りを施します。
リズミカルに、少しずつ線の上を滑る鏨。
簡単に施しているように見えますが、熟練の腕が為せる技です。

蹴り彫りによる線が完成した状態がこちら。

楔形の連続がよくわかる画像です。
この表現技法は、お神輿の金具などにも使われています。

蹴り彫り独特の表現が打ち出されたら、今度はモチーフの周辺=背景の箇所に、浮き彫りを施していきます。
葉の部分を立体的に見せるため、鏨で凹凸をつけていきます。

銅板の上に、彫金の技法が細かく施されていきます。
画像の奥に見えるのが、これらの表現を打ち出すときに使用する、鏨(たがね)です。
表現に応じて、複数の鏨を使い分けます。

※彫金については、過去の記事にて手法をご紹介しております。
よろしければ併せてご覧いただければ幸いです。
纐纈浩美展 物語を、かたちに

彫金による施しが一段落したら、お次は雲の表現に移ります。
この作品では、雲の部分は錫(スズ)引き(※2)で表現します。
(※2 錫引き=銅の表面に出る緑青や変色を防ぐために、古くから行われている技法。
現在でも、銅鍋の内側をコーティングする際にも用いられる手法で、その箇所は銀色になる。)

錫引きを施す場所には、錫がはみださないようにマスキングをします。
今回は、砥の粉を使ってマスキングしました。
黄色に見えているところが、砥の粉(※3)の部分です。
(※3 砥(と)の粉=風化した岩石を加工して、粉末にしたもの。
漆器の下地や、柱などの木製品の表面の着色、刀剣の研ぎ時に使用されます。
伝統工芸作家や職人の方などに広く使われている素材です。)

錫引き、銀ロウ流しなどで、銅とは異なる金属の色彩感を追加していきます。

鈍色に見える部分が、先ほどマスキングを施して作り出した、錫引きの箇所。
少し金色がかっている部分は、銀ロウを流し込んだ箇所です。
この画像ではわかりづらいですが、実際の色味は、文字の如く銀色になっています。

和歌を施す夜空の部分に、金属による色の変化が現れました。
この後は、再びモチーフの表現へとうつります。
夜空を舞う鳥の部分には布目象嵌(※4)を。
葉の奥側に描かれた街並みの部分には、再び蹴り彫りを施します。
(※4 布目象嵌(ぬのめぞうがん)=金属の表面に多方面から細かい切れ目を入れ、できた溝部に金銀箔を埋め込む伝統技法のこと。)

彫りの作業がすべて終了したら、色あげと呼ばれる金属の変色(着色)作業を行います。
こちらは、硫黄を用いて「硫化仕上げ」を施したところです。

銅の色合いが化学反応により、赤茶色に変化しました。
硫黄につけた分だけ、より色が黒くなっていきます。

「実は、湿度の高い日本の気候では、銅はどんどん変色が進んでしまうんです。
そのため、日本の美術工芸品の制作では、あらかじめ薬品を使って化学反応を起こし、変色させ、それ以上金属の色が変化しないようにする“色留め”という技術が発展しました。
私の作品でも、この技術を応用して、作品に色彩の変化をもたらしています。」

“あえて色彩に変化をつける”ことで長期的な表現・保存を可能とする、伝統的な技法の着眼点が、面白いですね。
金属の色彩変化により、永い時を旅したかのような趣のある様相に変化しました。

最後に、街並みと植物の箇所に、緑青(ろくしょう)(※5)をつけます。
(※5 緑青=銅や真鍮などの金属が、空気中の水分、塩分と反応して酸化したときに発生する錆の一種。
青錆とも呼ばれ、蛇口や、鎌倉の大仏、自由の女神などの銅像に見られる緑色は、この緑青によるもの。
人体には無害であり、銅の腐食を防ぐ効果もあります。)

銅を火で炙っているのがお分かりになりますでしょうか?
人為的に酸化させることで、緑青を発生させます。
作品制作といえど、その工程は化学の実験のような思考を有します。

これで全工程が完了。
いよいよ完成です!
画像では確認できない全貌は、ぜひ会場にて直接ご確認ください!

悠久の時を飾る:装飾工芸の意味

歴史ある技法だけでなく、取り上げるテーマ(百人一首)においても、日本の風情と雅趣に富んだ構成要素で作品を展開する伊藤さん。
古来からの日本美術工芸を、現代に甦らせ昇華させるような作品を作るルーツとなっているのは、大学院で文化財保存を専攻したところから始まっています。

「文化財保存を学ぶ一環で、各地で様々な金工品を観察し、技法を調査しました。
私の作品のイメージは、その時に見て、感じて、培われたものから形成されています。
具体的には、古典的な装飾金具の意匠や、仏教美術のレリーフなどですね。
これらは、文字通りの意味で“飾ること”に主眼が置かれています。
私は、空間や対象物を“飾ること”そのものが、工芸としては非常に重要な意味を持っていたのではないかと考えているんです。」

古今東西、様々な文化圏においても、装飾というのは一方で呪術的な意味合いもあると言われます。
邪を祓い、魔除けの意味合いを持つものであったり。
あるいは、神仏に捧げるための高貴な印象を作り出すものとしてであったり。
日本においても、その感覚は美術という分野で発展し、今でも大切に受け継がれています。
日々の中で大切に敬い、私たちの及ばぬ叡智の先へと捧げられる心のあり方が、装飾として表出し、今でも受け継がれているのです。

一見するだけでは全てを読み取れないほど、これらは複雑に、そして繊細に、形作られ、空間を彩ります。
歴史が紡ぐこれらの装飾の歴史に想いを馳せるように、時間をかけて鑑賞することもまた、伊藤さんにとっては大切な意味合いを持っています。

「目を凝らし、感覚を研ぎ澄ませて、時間をかけて意匠を鑑賞する。
すると、初めに見た瞬間とは異なる、新たな発見や感動が心に浮かんでくることがあります。
私も、時間の経過とともに、作品から受ける印象が変化するような、重層的な作品を作ることを、常に目指しています。」

金属が時間の経過とともに、少しずつ変化するように。
ゆっくりと揺蕩い、綴られゆく悠久の歴史を追想するように。
あたかも和歌を詠む時の、想いをめぐらせ、穏やかな心地に浸る感覚のように。
モチーフと技法が見事に融合し織り合わされた作品から、久遠の響きが感じられますように。
想いを馳せる、たおやかな時をお過ごしいただく契機となりますよう。

伊藤あきえ 個展 -ひかりとうたう-
2023年9月17日(日) ~ 2023年9月23日(土)
12:00~18:30 / 日曜〜18:00 / 水曜休 / 最終日〜17:00迄

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